ごきげんいかがですか。
むねやんです。

今回はインデックス投資と浄土宗の教えの類似性についてです。

「歎異抄をひらく」を読む

先日、図書館で「歎異抄をひらく」を読みました。



歎異抄(たんにしょう)とは、鎌倉時代の書物で、浄土真宗の聖典と呼ばれています。

親鸞没後に信徒たちの間に行われていた異端を歎(なげ)き、親鸞本来の信仰のあり方を説こうとしたものと言われています。

「歎異抄をひらく」とはその解説本に当たります。



歎異抄に関する解説本は10年以上昔にパラパラと呼んだことがありますが、「歎異抄をひらく」は結構わかりやすく説明されているのでなかなか面白いです。

原書ではないとはいえ、今この年齢になって改めて歎異抄を読むとまた昔とは違った受け止め方ができて非常に興味深かく読めました。

歎異抄はかの哲学者、西田幾太郎をして
「一切の書物を焼失しても『歎異抄』が残れば我慢できる」
と言わしめ、同じく哲学者の三木清をして
「万巻の書の中から、たった一冊を選ぶとしたら、『歎異抄』をとる。」
と評した名著です。

皆様も気が向かれたら読んでみられてはいかがでしょうか?

浄土宗とインデックス投資って似てるかも

さて最近、物事を何でも投資と捉えて考えてしまう癖がついてしまったようで、何かにつけて「あ、これって株式投資の考え方とも相通じる所があるな。」と考えるようになりました。

投資をされている皆様もそういうのってありませんか?



先日、歎異抄を読んでいても同じようなことが起こり、浄土宗や浄土真宗が起こった時代背景がインデックス投資のそれとなんだか似てるような気がしました。

鎌倉時代における浄土宗のありかた

鎌倉時代に法然が現れた時代背景を簡単に解説すると以下の通りです。
(※あくまで私個人の解釈です。)

鎌倉時代において、庶民は飢えや疫病に苦しみ、常に未知なる不安とともにありました。
庶民は救いを死後の極楽求めていましたが、極楽にいくには「聖堂門(出家して厳しい修行を積むこと。」「造像起塔(お寺を建てたりお布施をしたりすること。)」「持戒持律(規律を完全に守ること。)」のいずれかを達成せねばなりませんでした。
しかし、日々生きるのに精一杯の庶民が達成するにはどれも一朝一夕にはいきません。
そこで法然上人は「浄土宗」を開き、阿弥陀如来を信じて「南無阿弥陀仏」を唱えるだけで人々は救われると説いたのです。

とまあ、簡単に言えばこういうことです。

鎌倉以前の仏教は「難行」と呼ばれ、極楽に行くには厳しい修行が必要でした。
仏教が貴族社会と癒着して腐敗した時代には、お寺や仏像を寄進したりお布施を沢山出せば極楽に行けると言われるようになりました。

しかし普段の仕事が多忙で、読み書きもろくにできず、重税のために貯蓄もままならない庶民には到底実現不可能なことでした。
魚や肉を食べず、虫も殺したことがない人もまずいないので、庶民は地獄に落ちるしか無いと言われて不安でした。

そこで法然上人は「南無阿弥陀仏」さえ一生懸命唱えていれば極楽に行けますよ、と説いたわけです。
(※大雑把な解釈です。)

ゆゑに知りぬ、念仏は易きがゆゑに一切に通ず。諸行は難きがゆゑに諸機に通ぜず。しかればすなはち一切衆生をして平等に往生せしめんがために、難を捨て易を取りて、本願となしたまへるか。もしそれ造像起塔をもつて本願となさば、貧窮困乏の類はさだめて往生の望みを絶たん。しかも富貴のものは少なく、貧賤のものははなはだ多し。もし智慧高才をもつて本願となさば、愚鈍下智のものはさだめて往生の望みを絶たん。しかも智慧のものは少なく、愚痴のものははなはだ多し。もし多聞多見をもつて本願となさば、少聞少見の輩はさだめて往生の望みを絶たん。しかも多聞のものは少なく、少聞のものははなはだ多し。もし持戒持律をもつて本願となさば、破戒無戒の人はさだめて往生の望みを絶たん。しかも持戒のものは少なく、破戒のものははなはだ多し。自余の諸行これに准じて知るべし。まさに知るべし、上の諸行等をもつて本願となさば、往生を得るものは少なく、往生せざるものは多からん。しかればすなはち弥陀如来、法蔵比丘の昔平等の慈悲に催されて、あまねく一切を摂せんがために、造像起塔等の諸行をもつて往生の本願となしたまはず。ただ称名念仏一行をもつてその本願となしたまへり。
出典:『選択本願念仏集』

<簡訳>
造像起塔、智慧高才、多聞多見、持戒持律などの諸行諸善をしなければ助からない本願ならば、ほとんどの者は救いから漏れてしまいます。そこで阿弥陀仏はあまねく一切衆生を平等に救わんがために、一切の諸行を選び捨て、念仏一行を本願の行として下さったのです。
出典:真偽検証

資本主義社会におけるインデックス投資のありかた

これをインデックス投資に置き換えると、私は以下のように置き換えられると思いました。

資本主義社会において、庶民はお金の悩みに苦しみ、常に未知なる不安とともにありました。
庶民は救いをお金求めていましたが、お金持ちになるには「プロの投資家になること。」「元々お金持ちであること。」「一生懸命働いて贅沢は一切しないこと。」のいずれかを達成せねばなりませんでした。
しかし、何とか日々の暮らしに勤しんでいる庶民にはどれも達成することは一朝一夕にはいきません。
そこで山崎元氏や竹川美奈子氏は、資本主義社会の未来を信じて世界分散できる低コストインデックスファンドを購入しロングホールドするだけでだけで人々は救われると説いたのです。



いかがでしょうか?
多生強引ではあると思いますが、私はこう変換できるよなって解釈したんですね。

格差が広がり、将来の年金がちゃんと支給されるのか不安が広がる現代社会において、「インデックス投資なら初心者でも堅実に資産を増やすことができるかもしれませんよ。」という教えを知ることができたとき、私の影を落とした未来に一筋の光明のようなものを感じたわけです。(←大袈裟?)

インデックス投資とは「南無阿弥陀仏」である。

私にとってのインデックス投資の出会いは山崎 元氏や竹川美奈子氏でしたが、人によっては水瀬ケンイチ氏やバートン・マルキール氏でもOKです。

私にとっては、その方々との出会いが私を投資の世界に導くきかっけとなりました。



これがもっと「お金持ちになりたかったらもっと努力しなさい。」的な教えであれば、ここまで投資にはまることはなかったでしょう。
本業もあれば家庭もあるわけですし、人間みんな修行や努力ができるわけじゃありません。



インデックス投資は、少ない労力でそこそこの資産を形成できる可能性が高い投資法を言われています。

つまり資産運用におけるインデックス投資とは、仏教で言うところの「南無阿弥陀仏」なのです!

なんせ、「世界分散できる低コストインデックスファンドを購入しロングホールドするだけ」ですから。



これなら専門知識がなくてもできますし、日々の仕事の合間でも十分対応可能です。

あとはその道のお金のプロたちとMr.マーケットがお金を回してくれます。

少額投資からでも始められるので、私のような庶民でも始められます。

まさに「他力本願」

まとめ



法然上人、親鸞上人が「南無阿弥陀仏」と大乗仏教を伝えたことで、民衆における仏教の教えは格段に広まったといいます。

今回の私の解釈はプロの方から見れば間違いだらけだとは思いますが、専門知識のない多くの方にも読んでいただけるよう敢えて簡略化してお伝えさせていただきました。



当たり前の話ですが、南無阿弥陀仏”だけ”唱えたところで人は幸せになれませんし、何の問題解決にもなりません。

同様に、インデックス投資さえしてれば必ず幸せになるのかといえばそうではありません。

結局は、その教えに沿って普段からの心構えを整えたり、ときには勉強したりする必要もあります。



また、お金があるから極楽に行けるかどうかはさておき、資本主義社会において「元々お金を持っているかどうか。」というのは結構大きい差となり得ます。

ですから資産家に勝つことはなかなか難しいかもしれません。



ですが、コツコツ投資を続ければもしかしたらジリ貧を続ける現状を打開できるかもしれません。
少なくともひとつのチャンスにはなり得るだろうと考えています。



今日も私は一門徒として、ご先達のお言葉を信じてながら、コツコツとインデックス投資を続けていこうと思います。
南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏。

むねやんむねやん

来年こそは一門が集まるインデックスナイトにも参加したいですね。


はるやんはるやん

投資界における全世界仏教サミットみたいなものかなwww

Ate breve! Obrigado!



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よければこちらの聖典もどうぞ

水瀬ケンイチ大僧正の初心者にも優しい投資入門書です。
迷える一切の衆生を救おうとされておられる大僧正の慈悲の心が伝わってきます。
南無阿弥陀仏。




バートン・マルキール大僧正によるインデックス投資の大教典です。
世界中から支持者を集め、インデックス投資の真理を説いたありがたいお言葉です。
南無阿弥陀仏。